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8.恋が咲いた話

Author: 杵島 灯
last update Last Updated: 2025-05-31 15:55:38

 甘い香りを、吸って、吐いて、吸って、吐いて。

 なんとか心を落ち着かせてジゼルは口を開く。

「国王と次期王位継承者は、象徴花を決めないの」

「どうしてですか?」

「王は国を統べる者だからよ。この国は花の国、一つの花に思い入れることなく平等に接するべき、ゆえに王の象徴はこの国の花すべて。――っていうことにはなってるけど、人である以上はどうしても身贔屓が出てしまうわね」

 肩をすくめたジゼルはくすりと笑う。

「実はね、お父様は薔薇がお好きなの。もしも国王でなければきっと薔薇を象徴花としてお選びになったと思うわ。ほら、あちらを見て」

 石造りの手摺越しにジゼルは外を指す。背伸びをして手摺の上に顔を出したライナーは息をのみ、続いて大きな声をあげた。

「すごい! あんなにたくさん薔薇があるなんて! 僕、初めて見ました!」

「あれはお父様の庭園よ。実はね。お父様とお母様が結婚したきっかけも、あの庭園にあるの」

「……もしかして、恋のお話ですか?」

 ジゼルは恋というものが分からないが、わずかに頬を染めたこの少年は恋を知っているのかもしれない。

 知っていてもおかしくはない。何しろジゼルの父のピエールが、妃となる女性コリンヌに恋心を抱いたのは、八歳のときだったとジゼルは聞いている。

 何故だか少し面白くない気分になった自分を不思議に思いながら、ジゼルは笑みを絶やさないようにして話を始める。

「ええ、恋のお話。――今から三十年ほど前のことよ。ある貴族が、娘を連れて城へやって来たの。国王と、王妃と、王子に挨拶をするためにね。そのとき王子は一目で娘の|虜《とりこ》になって、次の瞬間には求婚していたそうよ」

 王子が娘にかけた最初の言葉は「結婚してください」だった。

 これが、今でも城内で語り草となっている“ピエールとコリンヌの出会い”だ。

 突然の求婚を周囲の人々は当初、微笑ましく見守っていた。コリンヌの両親である貴族は「御冗談を」と笑い飛ばそうとし、ピエールの両親である王と王妃も「臣下を困らせるマネをしてはいけない」と叱った。

 しかしピエールが本気だと知った途端、周囲の人たちは「コリンヌはやめるように」と諭した。もちろんコリンヌも求婚を断った。

「でもね。ピエールは『自分の妃となるのはコリンヌしかいない』と言って、誰の忠告も聞かなかったんですって」

 ジゼルがそこまで話すと、ラ
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  • 花の国の女王様は、『竜の子』な義弟に恋してる ~小さな思いが実るまでの八年間~   36.女王は帝国皇太子と対峙する

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